故やしきたかじんさんの妻のやしきさくらさんが華原朋美さんの「小室哲哉マネー」を狙って接近していたことが話題です。
屋敷さくらさんは遺産相続や権利関係のトラブルなど、お金にまつわる噂の絶えない女性です。
屋敷さくらさんはどんな人物なのか、捨てられたイタリア人の夫の画像やお金に執着するその正体に迫ります。
家鋪さくらの正体・たかじんは最初から狙われていた
やしきさくらさんは2013年10月にやしきたかじんさんと結婚しました。やしきたかじんさんは3度目の結婚で、やしきさくらさんは別記事にも書いているとおり分かっているだけでも5度目の結婚。
やしきたかじんさんの死去後に発売された百田尚樹氏のノンフィクション「殉愛」によると、2人が出会ったのは2011年12月25日。
やしきさくらさんは当時イタリアでネイルサロンを経営していたが、妹の出産のタイミングで一時帰国、そのときFacebookで知り合った「屋敷隆仁」というよくわからないおじさんのパーティーにしぶしぶ参加したことがきっかけとされています。
そしてそれからわずか5日後の同月30日には「屋敷隆仁」なる怪しい人物(たかじん氏)と2人で鉄板焼き店に行き、その夜やしきたかじんさんの自宅でプロポーズを受けたとのこと。
百田尚樹氏の「殉愛」は賛否あるものの、内容としてはたかじん氏とさくらさんの愛の物語なので、ノンフィクションとはいえ美談仕立て。(今はノンフィクションとして認められていないのが現実)
ただノンフィクションとして見てもこの2人の馴れ初めには違和感が。
Facebookで知り合った屋敷隆仁氏は、やしきさくらさんにとって素性不明のあやしいおじさんとなっています。そんな関係の薄い人物のパーティーに、しぶしぶながらも参加するでしょうか。
そもそも関西人のさくらさんがやしきたかじんを知らないなんてことがあるのか。
そして怪しいおじさんと出会って僅か5日後の12月30日にプロポーズを受けているのですが、翌月の1月16日におじさんの食道ガンが発覚すると、さくらさんは20日に帰国予定していたイタリア行きのチケットを破り捨て、おじさんと生きていくことを決意したとのこと…
ちょっとストーリーに無理があり過ぎはしないでしょうか。最初からお金目当てでたかじんさんに近付いたことを悟られまいと、必死に創作しているように感じてしまいます。
プロポーズからがんが見つかるまでの流れはさくらさんにとっては出来過ぎな展開ですが、これが真実ならばまさに鴨がネギしょってやってきた状態、自分の運の強さに舞い上がっていたのではないでしょうか。
家鋪さくらはプロポーズされイタリア人の夫だけ帰国
実はさくらさんが日本に一時帰国して、たかじんさんからプロポーズを受けていたこの時、さくらさんにはイタリア人の夫・イヴァンさんという存在があり、そのイヴァンさんも来日していました。
「殉愛」から時系列をまとめると
- 2008年春にステイ先のイタリアでイヴァンさんと知り合ったさくらさんは遠距離交際の末、同年12月に日本で入籍。
- 2009年にはイタリアへ移住し生活を始める
- 2010年夫とはほぼ別居状態
- 2011年11月に離婚手続きのため日本に帰国、同月イヴァンも来日し離婚同意書にサイン
- 2012年3月離婚届けが受理され、正式に離婚成立。
さくらさんがたかじんさんにプロポーズされたのは2011年の12月、このイヴァンさんとの時系列が真実であれば、さくらさんとイヴァンさんお互いが離婚を同意していたタイミングだったことになります。
ところがこれは、さくらさんがイヴァンさんとの結婚生活を1年前倒しして説明した嘘。イヴァンさんが来日してい2011年の12月は、さくらさんはイヴァンさんにアクセサリーをプレゼントしてもらったり2人でクリスマスを楽しんでいたことが当時のブログからバレています。
しかしまさかのたかじんさんからのプロポーズを受けたさくらさんは、たかじんさんとイヴァンさんを天秤にかけ、経済的にも裕福なたかじんさんを選び夫だけイタリアに帰したのです。
家鋪さくらの正体・やしきたかじんの遺産を独り占め
やしきさくらさんの正体は遺産目当ての後妻業ということが、約10億円とも言われるやしきたかじんさんの遺産の行方で明らかになりました。
遺産の分配は「うめきた」の緑化事業に供するための寄付として大阪市へ3億円、「たかじんメモリアル」設立などのための寄付金としてOSAKAあかるクラブに2億円、母校である桃山学院高等学校へ寄付金1億円、そして残りは全額後妻のさくらさんの元へ入ることとなり、一人娘へは一切の遺産を残すことはありませんでした。
これはたかじんさんの遺言書に則って分配されたものですが、たかじんさんの娘はこれに憤慨しました。
これを聞いたさくらさんは弁護士に「娘への遺産相続を1億円で納得させてほしい」と依頼するも無駄に終わります。
これは娘が「遺留分減殺請求」をすることを考えて、さくらさんが先手を打ったものと考えられます。
「遺留分減殺請求」とは遺言書の内容にかかわらず、娘が遺産総額の4分の1を受け取れる権利ですので、この請求を起こされると金額にして2億5千万円が娘の手に渡ってしまうことになるのです。
さくらさんはこのほかにも「自宅金庫の中の現金は、私のものだったことにしてほしい」と弁護士に懇願するも却下されていますが、これも金庫内の現金が自分の物であれば遺留分減殺請求の対象からは除外されることを狙ってのこと。
結果として金庫内にあったとされる2億8千万円は、遺言目録では1億円と記載されました。1億8千万円の不足分はさくらさんのものと主張し認められたようです。
最終的に遺産総額は8億6千万円で確定しましたが、娘側は大阪市とOSAKAあかるクラブに遺留分減殺請求を起こし、それぞれ寄付金からの一部返還を受けていることがわかっています。
家鋪さくらは寄付先に寄贈の放棄をせまる
やしきたかじんさんが生前に残した最後の願いでもある寄付ですが、やしきさくらさんはこれについても奪還を画策、遺書に記された寄付先に遺贈の放棄を迫っていました。
OSAKAあかるクラブに対しては「2億円の寄贈を放棄してほしい」とお願いしたことが同団体の公式ホームページで明らかにされています。
たかじんさんはこの2億円を、大阪のために頑張ってくれた人を表彰する「たかじんメモリアル」の設営と運営に使うことを希望。
ところが家鋪さくらさんは数回にわたり、その2億円を自分が新しく設立する団体にすべて預けてほしいと迫りました。
そこでいったんはあかるクラブ側も遺贈の放棄を決定しましたが、さくらさんに「2億円の運用状況を開示してほしい」と要求、すると「もう放棄していただかなくて結構です。その代わり、メモリアルでたかじんの名前を使わないでほしい」と逆ギレし寄贈放棄の件はひとまず破談になりました。
そして桃山学院高等学校への寄付金1億円についてさくらさんは「実は、私はお金に困っている。寄付を放棄して欲しい」とお願いしたといいます。
学校経営は安定していたため、一度は桃山学院の温井校長も寄付を放棄しても構わないとまで考えていましたが、その後さくらさんから「1対1で会いたい」と携帯に電話があり校長室で会うことに。
その際たかじんさんの遺骨の入った骨壷と一緒に持ってきたのが、のちに「温井メモ」と呼ばれることになる手紙。
これを見た瞬間にたかじんさんのことをよく知る温井校長は、メモが偽物であることを見抜きました。
見抜いた理由としては
- 話すときも手紙でもお互いに丁寧語でやり取りをしていたが、メモの言い回しがおかしい。
- 内容が「桃山学院に寄付したことにして、裏でさくらに金を戻してほしい」というもので、正義感の強いたかじんさんが、こんな脱税ほう助のような事を持ちかけるわけがない。
- そもそもたかじんさんがこんなセコイことを考えるはずがないと言う信頼。
~温井メモ~
赤い点線で囲われている部分は筆跡鑑定も行われてたかじんさんの筆跡と一致しないことが判明しています。
さくらさんに不信感を抱いた温井校長は、たかじんさんの遺志を尊重すると伝え、遠回しに放棄を拒否しました。
大阪市への3億円については「一部を相続する権利を主張する親族との間で訴訟」とありますので、これは娘のおこした正当な「遺留分減殺請求」の可能性があり、さくらさんは市に対しては遺贈の放棄を求めていなかったのかもしれません。
遺贈の放棄を迫った結果、どうなったのかは別記事に書いていますのでご覧ください。
やしきさくらの正体・やしきたかじんの権利も強奪
やしきさくらさんはたかじんさんの死去後、たかじんさんが代表を務めていた事務所P.I.Sに対抗し、Office TAKAJINを設立。
さくらさんはP.I.Sから会社の実印や帳簿、契約書などを持ち出しOffice TAKAJINに都合のいいように引継ぎ、肖像権などの権利関係はすべてOffice TAKAJINに移しました。
妻とは言え会社の実印などをほとんど強奪のように持ち出しすることは、犯罪ではないのでしょうか。
さらにさくらさんはテレビ各局をまわり、番組でたかじんさんの名前を使った時などに発生する看板料の入金先を、P.I.SからOffice TAKAJINに自ら動いて変えさせています。
そしてその時の殺し文句は「私の言葉はハニーの言葉」だそうです。
コメント
屋敷ではないですよ。
漢字間違えてます。