岡庭由征「茨城一家殺傷事件」

田村眞裁判長の顔画像「君は変わる必要がある」岡庭由征へ理想を求めた温情判決

okaniwayoshiyuki-tamuramakoto-saibankan-kao-gazou岡庭由征「茨城一家殺傷事件」

茨城県境町の小林さん夫婦殺害事件で逮捕された、埼玉県三郷市の岡庭由征(おかにわよしゆき)容疑者。

岡庭由征は10年前に残虐な通り魔事件を起こしていながら、当時のさいたま地裁(田村眞裁判長)が厳罰を与えなかったため、今回の事件を引き起こすことになってしまいました。

岡庭由征を適切に裁けなかった田村眞裁判長の顔画像と、刑事罰ではなく保護処分とした当時の裁判の経緯を調べました。

>>岡庭由征の両親と小林さん夫婦殺害事件まとめ

>>岡庭由征に大事件の余罪

田村眞裁判長の顔画像

2011年に小中学生の少女2人を相次いで刺した岡庭由征に対し、刑事罰を与えなかったのは、当時のさいたま地裁の田村眞裁判長でした。

田村眞氏は2013年にさいたま地裁を去った後は、横浜地裁6刑部総括、徳島地家裁所長、岐阜地家裁所長を歴任したのち、2019年3月に依願退官しています。

その後は、浜松町公証役場公証人となっていたようですが、現在も変わらず続けているかは不明です。

田村眞氏は昭和29年6月生まれなので、現在は66歳になっているようです。

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2015年の徳島地方・家庭裁判所長時代の田村眞氏

とても温厚そうな雰囲気の田村眞氏。

テレビドラマの影響で弁護士に憧れた田村眞氏は中央大法学部へ進学し、卒業後は司法試験にも合格し弁護士を目指していたそうですが、司法修習中に「独立して自分で判断できる仕事の方がやりがいがあり、向いている」と裁判官の道を選んだといいます。

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今となっては「自分で判断できる仕事」が本当に向いていたのかと突っ込まれそうですが、「気負わず、思い込みを排除して証拠と向き合うこと」を実践してきたそうです。

常に裁判官の先輩から教わった「事件をして事件を裁かしめよ」という言葉を胸に刻む。この言葉は、気負わず、思い込みを排除して証拠と向き合うことの大切さを説いており、自ら実践してきた。

引用:徳島新聞

田村眞裁判長が岡庭由征に問う13件の罪状

岡庭由征が2011年に犯した事件の概要は以下のとおり。

【2011年11月18日】11月ということもあり、もう日も沈んでしまっていた夕方の17時過ぎ、埼玉県三郷市鷹野の市道で、岡庭由征は帰宅途中の市立中学3年の女子生徒(14)に対し、背後から襲う凶行に及びました。女子生徒は、深い傷を負うことに。

【同年12月1日】岡庭由征は今度は、千葉県松戸市栄町西3の路上で、下校途中の小学2年生の女児をターゲットにします。女子児童が転倒したところを襲うという残忍極まりない殺人未遂を犯します。

どちらの少女も、10日ほどである程度の回復ができたことが不幸中の幸いでした。

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【同年12月5日】三郷市高州の路上で自転車に乗っていた岡庭由征(当時16)は、警戒中の警察官から職務質問を受けた際、バッグに未使用の折り畳みナイフと鉈を所持していたため、銃刀法違反容疑で現行犯逮捕されました。

警察の調べに岡庭由征は、「歩いている人を誰でもいいから××と思った」「女性を狙った」と供述。2件の犯行についても認めました。

「だれでもいいから」と言いながら実は「女性を狙った」岡庭由征。その卑怯な犯行は、大人の女性ではなく、抵抗される心配のない少女へと向けられたのです。

さらに岡庭由征は、三郷市や松戸市で三十件ほどの放火をしたことも供述。少女に対する事件前に行っていた動物への虐待なども含め、殺人未遂2件、自動車や倉庫など非現住建造物放火6件、動物愛護法違反2件など合わせて13件の罪に問われました。

岡庭由征の供述内容

2013年の2月19日から開かれた、一連の事件の公判の冒頭陳述で岡庭由征は、「××して××を持ち帰ろうと思った」と驚きの証言をし起訴内容を認めました。まさに「酒鬼薔薇聖斗」を思い出させる異常さです。

岡庭由征は後の供述で、

中学時代からホラー映画などで××興奮を覚え、自己満足のために××ようになったとしている。自宅で小動物捕獲用のケージを仕掛けたり、素手で尻尾をつかんだりして捕獲し、千枚通しで××、ケージごと土中に××、地面に××××していたという。

両親も猟奇的な映像を鑑賞する岡庭由征を咎めることも無かったため、人を××ばもっと××な興奮や満足感が得られると思った。××を持って女子小中学生を尾行した」と悪びれることも無く話したといいます。

 

さらに以下、岡庭由征の異常行動や本人の供述。

  • 襲われて悲鳴を上げると、口元を歪めて笑っているように見えた」(襲われた中3少女談)
  • 少女を襲うのに××興奮を感じていた
  • ××して××を持ち帰ろうと思った
  • 自由になったらまた人を××したい
  • ××が付いているから見ていた。自分の部屋で舐めたり…」(少女への凶器は?)
  • 目的がなかなか達成できない鬱憤を放火で紛らわせた」(検察)
  • 事件前にも別の女子中学生を襲おうと、埼玉・千葉・東京を自転車で徘徊していた
  • ××が出たときを思い出して興奮した。またやりたくなった
  • 仲間が欲しかった。喜ぶかと思った」(学校に瓶詰めを持っていった理由)

被害にあった中学3年生の女子生徒は、事件後右目が思うように開かず頭痛に悩まされるなどの後遺症も残ってしまい「昼でも夜でも一人になるのが怖い」と訴えたといいます。

誰が考えても完全なる異常者である岡庭由征。検察は刑事処分が相当として、懲役5年以上10年以下の不定期刑を求刑しましたが、田村眞裁判長は弁護側を支持し、間違った判決を下してしまいました。

>>岡庭由征の異常な性格は両親が原因

田村眞裁判長が岡庭由征へ甘すぎる温情判決

検察側の不定期刑の求刑に対し、弁護側が求めたのは、医療少年院送致の保護処分でした。

そして田村眞裁判長は、岡庭由征が逮捕後に行われた精神鑑定で、広汎性発達障害と診断されたことや、両親の育成環境を理由に「医療少年院で治療や矯正教育を施すことが有効」として、家裁に移送することを決定しました。

田村裁判長は、少年が刃物を準備し、少女を刺したことから「強い殺意に基づく凶悪で、計画的に行われた通り魔的な犯行だ」と糾弾。一方、少年が広汎性発達障害という生まれつきの資質と両親の育成環境が動機に直結したと指摘し「少年を不利に扱うのは相当ではない」と刑事処分を退けた。

その上で「医療少年院に長期間収容し、保護観察所に両親の監護態度を改善させるのが最良。新たな被害者を出さないという社会の要請にかなうものだ」と判断した。

引用:日本経済新聞(2013年3月12日)

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田村眞裁判長は岡庭由征の凶悪性をよく理解したうえで、「強い殺意に基づく凶悪で、計画的に行われた通り魔的な犯行だ」と糾弾しておきながら「少年を不利に扱うのは相当ではない」と述べ、「再犯を防止する社会の要請にも適う」との判断をしてしまいました。

少年を不利に扱う」?「再犯を防止する社会の要請」?

これまでの岡庭由征の異常な供述を耳にしてきた人間が、扱いが不当だとか、再発防止を要請することなどあるでしょうか。

岡庭由征は、どう考えても更生など不可能な凶悪犯罪者。それなのに田村眞裁判長はピントのずれた甘すぎる判決を下してしまいました。

このとき検察側の求刑どおり10年もぶち込んでおけば、小林さん夫婦が亡くなることはなかったのです。

>>茨城一家殺傷意外に大事件の余罪が

田村眞裁判長「君は変わる必要がある」岡庭由征に掛けた言葉

どこまでも一般的な感覚とズレている田村眞裁判長は、最後に岡庭由征にこう語りかけました。

精神科医との関わり合いによって閉ざされた心の窓を開くことが必要だとし、最後に「罰を受けないで済んだと間違わないでほしい。医療少年院に長く入ることになる。重い罰だ。君は変わる必要がある、変わらないといけない」「君が社会に受け容れてもらえる人間に変わって戻ってくることを願う

どこまでも理想を追い求めていた田村眞裁判長。本当の善と悪を見極めることをせず、事なかれ主義だったのではないでしょうか。

「裁判所は当たり前のことを当たり前にやって当然の機関。利用しやすい司法サービスを安定的に提供していきたい」(田村眞氏)

引用:徳島新聞(2015年2月11日)

本当に当たり前のことができていたなら、岡庭由征が野に放たれることはなかったと思うのですが。

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裁判長の田村氏と 当時の弁護士はコメント出してほしいね
少年というだけで加害者と向き合わず 更生の機会を与えた結果
罪のない人が傷ついた事実に 法曹の人間は向き合ってほしい
守るべきは加害者の人権ではなく 公共の福祉であり、多くの一般人だよ

田村眞裁判長「実働10分5万円」悠々自適な老後生活

田村眞裁判長は今回の事件について、何かコメントを出さないのかという意見がSNSでは多数見られます。確かにこれほど重大な事件になってしまったわけですから、結果的に間違った判決を下してしまった田村眞裁判長の言葉は欲しいところ。

しかし田村眞裁判長がコメント出すことは恐らくないでしょう。

岐阜や徳島の地家裁所長まで勤め上げた田村眞氏は、エリート裁判官でした。現職時代の年収はおそらく2,000万円以上あり、退職金も5,000万円は貰っているいわば上級国民。

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そして2019年の依願退官後は、裁判官や検察官たちが定年後にどうしても就きたい天下りポスト「公証人」の座を獲得しています。

この公証人はとても「おいしい」仕事らしく、

「司法書士や弁護士が整えてきた書類に対し、優秀な事務員がとりまとめを行う。俺の仕事は、それに目を通し、本人確認をすること。一日数件やれば十分おカネになる。飛び込みはまずないし、日程の予約が入っても、面倒ならすべて後回しにして構わないんだ。ゴルフが入っていたら休む」(公証人経験者)

引用:現代ビジネス

それでいて年収1500万くらいは当たり前で、人口の多い地域であれば、2000万~3000万はザラだといいます。仮に70歳まで田村眞氏が公証人を務めれば、1億近いお金を得られるわけで、実働10分5万円なんてことも言われているお仕事です。

そんなわけで、今では天国のような暮らしをしている田村眞氏が、今さら過去の裁判について、どうこう考えることなどないのは仕方のないこと。

毎日適当に働いて大金を稼ぎ出す、悠々自適な老後生活。

ゴルフはしない田村眞氏は、休日には妻を連れて高級フレンチに舌鼓。予約に遅れてしまうからと、プリウスを飛ばし事故を起こさないように注意が必要です。

トヨタのプリウスはアクセルペダルを踏んでいないのに加速することも、アクセルが床に張り付くこともありませんが、万が一事故を起こしてしまっては、たとえ法の番人であった上級国民とはいえ、許してもらえることはまずありません。

>>龍ヶ崎市談合事件で消された3人

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